Trekking 写真 '23  to 亀戸天神社


 1月 3日  中野光徳院五重塔
 3月 9日  木場早咲桜
 3月14日  大師八角五重塔
 4月16日  明日法福寺稚児舞
 4月23日  負釣山
 4月27日  日立法鷲院五重塔
   
 4月28日  館林市つつじ公園
 5月 3日  負釣山
 5月17日  中山
 5月23日  明王院国宝五重塔
 5月24日  瑠璃光寺国宝五重塔
 5月24日  厳島五重塔
   
 5月24日  備中国分寺五重塔
 8月12日  大日平
10月12日  宇治平等院
10月13日  八坂の塔
10月14日  銀閣寺
   
    


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  中野区光徳院五重塔

都内の五重塔ということで中野区の光徳院へ出かけました。
乗り換えなしの東西線の落合から行ったので少し歩きました。
心柱がステンレス、外形は木造という室生寺を模した平成にできた小ぶりな五重塔です。


真言宗のお寺で五重塔の向こう側が墓地という東京のお寺です。
五重塔を見学に行った時は年明けの早い時期だったので新年のご先祖のお参りに来た人もおられました。
中野区の五重塔は子金持ちの寄付で建立されたような五重塔でした。




 木場公園 早咲桜 

東陽町の近くの歩いて15分行ける、ここ木場公園にある早咲桜である。
早咲桜は運河沿いに30〜40本ほど植付られている。
桜の木は樹齢20〜30年前後の若木が多い。


綺麗なピンク色の桜である。
十数人の人がこの川べり散策している。
初春の木場公園の風物詩と言っても良いと思う。
2月にこちらの早咲桜を見るのは春の訪れを感じさせる様に心に焼き付けて来る。




八角五重塔があるということで川崎大師に出かけた。
東陽町からは日本橋で乗り換え、京急川崎でさらに大師線に乗り換えて行く。
京都に八角五重塔の跡地があるが、中国でも八角五重塔の見学をした記憶がある。


中国の八角五重塔は記憶をたどると川崎大師と同じ鉄筋コンクリート、漆喰仕上げであった様な気がする。
文化大革命で毛沢東が旧態依然のものを破壊したことにより近代建築のものしか存在しない。
それはそれで現代中国を築くうえで必要なことだったと思える。


さらにタイの国にあるような黄金のお釈迦様もあった。
神奈川県川崎市にあるということで国際的な見地から東南アジアの仏様も鎮座しておられます。
参道のお土産さんは浅草の浅草寺の次に大きな参道であった。




家から歩いて30分余りで行ける法福寺へ出掛けた。
今はすでに亡くなった母親に手を引かれていったような気がする。
小学校低学年以来の約65年振りの稚児舞を見るためである。
稚児はお寺でお経に即した後、各々の父親の肩車によって汚れを避けて演舞台に運ばれて来た。


稚児は清浄で汚れがないところから、神が依(よ)り憑(つ)くと考えられ、その舞は神の舞とも考えられたとある。
古い芸能は神事と深い関係をもっていたので、稚児が参加する場合が多かったようで、神子(みこ)舞は稚児によって舞われることが多いようであった。


法福寺は大同年間に創建されたとあるが、室町時代後期だろうと思う。
稚児舞は他の富山県内の舞の行事を参考に江戸時代の初めごろから始まったのだろうと思われる。
参道のお寺に近い家々はお庭が春先の花木で彩られていた。
このあたりの農家のような梅や柿、吉野桜は見受けられない。




一年振りの負釣山である。
今年度はいつも一緒に登り始めをする浦滝がいないので一人である。
9時45分、登り口をスタート。11時25分七合目で小休止。
写真は娘の嫁ぎ先に近い南砺市の木村さんご夫妻である。


頂上は11時50分着。一人で作り食べるラーメンはちょっと寂しい。
写真は富山市のMSさん。随分と先を急がれているようでした。


2〜3年前も頂上でご一緒したようなおばさんと話した。
若い人しか写真を撮らないね。と言われた。
でも2021年にここで、79歳の私より10歳近く上の先輩の写真を載せている。
写真は黒部市の私と同じイニシャルのSHさん。




平成に建造された五重塔ということで日立市の法鷲院へ出かけました。
この法鷲院の五重塔は京都の醐醍寺の最もバランスの取れた五重塔を模したものらしい。
この五重塔は醐醍寺の創建当時の美しさを再現しているのだろう。


平成に再現されたこの五重塔の建造費は数億円で出来るだろうか。
良くぞ北関東にこんな素晴らしいものを作ったものだと感心せずにはいられない。




20数年ぶりに館林のつつじヶ丘公園を訪れてみた。
つつじの木が大きくなっていることに驚いた。


今回の旅行は日立の五重塔とここつつじヶ丘公園を訪れ、大学の同級生のホンダに会うことが目的であった。
同級生のホンダも元気で何よりだった。また、いつか会えることを約束してわかれた。




9時35分、登り口スタート、10時9分、三合目小休止スポーツドリンクを飲む。
12時5分、負釣山南峰到着。剱岳や後ろ立山連峰も見える。
写真は砺波市の田島さん達です。


南峰でおにぎり1個を食べ、本峰に戻ってからも一個たべた。
登り口に降りると1台の黒の軽のワンボックスが道を防いで車が出ない。
何とマナーの悪い登山者がいるものだと空いた口が塞がらなかった。
今度こういう出口を塞ぐ車がいたら写真を掲載しようと強く思った。
写真は前述の田島さんと小生です。




10時、登り口スタート、11時、千年杉の前で写真を撮る。
やっぱりここまで来て年齢を少し感じる疲れだ。
写真は浦さんです。


続いて少し疲れている小生。
中山でも途中の休憩が必要な年齢になったことを思い知らされるている。
雪で1/3位折れた古木杉の残骸が近くに散らばっていた。
良くここまで頑張ってきたものだとこの古木杉に感心する。


12時過ぎにようやく頂上に着く。
ラ-メンを作って食べる。久しぶりのおいしいラ-メンだ。
二人並んだ写真の背景の剱岳はいつでも素晴らしい。
もう自力では登れないと思うと少し寂しいかな!




8時ごろ富山を出発して午後4時過ぎに広島県福山市の明王院についた。
とても綺麗な五重塔である本殿とともに国宝である。
五重塔は高さ29.1mで色落ちもなく良く手入れされているようである。


外国人がいたので声をかけたらコロンビア人でした。
このお寺どう思うかと聞いたら、とても美しいと答えてくれた。
創建1348年、空海ゆかりのお寺で真言宗である。


本堂も手入れが行き届いており非常に美しい。
また、よくぞここまで来たものだと感慨ひとしおである。
国宝が2つ以上あるのは京都以外では珍しい。




宿を出て2百数十キロ走って山口市の瑠璃光寺についた。
全くもって残念ながら補修工事中であった。
創建1442年、曹洞宗のお寺である。


ホームページの写真を見ると池の前の風光明媚な地にある国宝五重塔だ。
やはり池に映る五重塔がみたいと強く思った。
国宝には珍しい檜皮葺きの五重塔である。
この時も檜皮葺き屋根の修理をしていたのかな!




本日2番目は厳島神社にある重要文化財五重塔である。
フェリーに乗り厳島に渡って行くとフェリー乗り場から見える。
五重塔は高さ28.4mで瑠璃光寺と同じく檜皮葺きである。


厳島神社の鳥居である。
江戸時代以前の五重塔で神社にあるのは羽黒山国宝五重塔、日光東照宮五重塔、この厳島神社の3つである。
平清盛がこの素晴らしい厳島神社を創建したことは言うまでもない。創建1407年。




本日3番目は岡山県総社市にある備中国分寺重要文化財五重塔である。
高さ36.6mの比較的高い塔である。
カラスのような黒っぽい五重塔である。


創建1844年とあり江戸時代後期で重要文化財五重塔では最も新しい塔である。
この黒っぽい五重塔は京都の東寺もそうであったように立ち姿が美しい。
真言宗のお寺である。




久しぶりの登山である。
今回は去年夏バテで登れなかった大日平を目指した。
メンバーは72歳コンビの浦さんである。
9時25分称名滝の登り口をスタート。
写真は立山の弥陀ヶ原の下の称名川に面する悪癖の壁である。


コースタイムは途中の猿ケ馬場までは1時間30分である。その途中で一回休んで漸く猿ケ馬場に辿り着いた。フタフタに疲れている。やっぱ年だ。
この小休止の場所では牧師の安居さんご夫妻、アメリカ人の二人と談笑した。
写真はガスが切れた瞬間に見えた不動滝である。


大日平に登ると雲が出てきて、涼しい風が吹き渡っている。
涼しさで少し元気が出たような気になった。
この大日平にある小屋の裏手の称名川上流には不動滝がある。
写真は安居さんと一緒に登ってきたアメリカ人のトンプソンとベルトの両名です。




宇治の平等院である。
京都の寺社の人気スポット巡りとして一番最初に10円玉で有名な平等院に来た。
修学旅行生たちで行列が出来ていた。
みんな写真スポットさがすのに一生懸命であり私もその一人であった。


本日2番目は百本鳥居で有名な京都寺社NO.1となっている伏見稲荷大社である。
白人が半数以上ですごい数の人で溢れかえっている。小山の頂上まで赤い鳥居が続いているので中腹で降りてきた。
日本人の若い女性以外は手を合わせている人はいないようである。




重要文化財 法観寺の五重塔へはホテルから地下鉄と歩きでやって来た。
前回の京都の五重塔巡りで来れなかったところである。
家内曰くこの五重塔の参道はサスペンス劇場のロケ地として見たことがあると。
地元の人からは八坂の塔として親しまれているらしい。
1440年に竣工とある。


上記の法観寺からは歩いてすぐのところにあるご存知清水寺である。確か3回目位であると思う。
今回は京都の有名な寺社仏閣ということで再認識として訪れた。
写真は清水の舞台の上部の方を撮ったものがあったので舞台の骨組みを写した。


清水寺から歩いて近くにある三十三間道にやってきた。
いたる所が写真撮影禁止になっているお寺である。
改めて目を引いたのが通し矢に当たった穴凹で一杯の古い鴨居であった。




三日目は帰路に就く前に銀閣寺を訪れた。こちらも修学旅行生でいっぱいである。
銀閣寺の銀箔が錆びて銀色に見えないところが残念である。
若狭道に一旦出てから帰ることとしたが京都縦貫道や若狭道にはサービスエリアが無く少し寂しい思いをした。





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