Trekking 写真 '19  to 亀戸天神社


 2月10日  ヴィナース・フォート
 4月 9日  東京ゲート・ブリッジ
 4月13日  水陸両用バス・スカイダック
 4月19日  パエリア・タパス・フェスタ
 4月23日  東寺 展
 4月27日  すみだ北斎美術館
 5月 1日  橋場不動尊
 5月 5日  道教のお宮 聖天宮 
 5月15日  古河庭園 バラ・フェス

 8月24日  寛永寺 五重塔
 8月27日  池上本門寺 五重塔
 9月 7日  法華経寺 五重塔
 9月27日  妙成寺 五重塔
 10月10日  新湊大橋
   
    


戻る TOPページへ



  ヴィナース・フォート

ゆりカモメの青海にあるヴィナース・フォートのモニュメントが美しいとのことで出かけました。
定時の時報とともに色が変わるのが楽しい。
みんな一斉にスマホむけている。
レンボーカラーに次々と変わっていく!
若いカップルならその楽しさを分かちあえる!


風船の色が次々と変わるカラーバージョンもあった。子供が喜ぶ様子がとても楽しい。
ショッピングモールであるので若い人達が楽しむように出来ている。
ショップの衣料品なども当然若者向けである。
東京の街が若い人々を引きつけるように工夫をこらしていることが良く判る場所である。




  東京ゲート・ブリッジ

前々から是非行ってみたいと思っていた東京ゲート・ブリッジに行った。
以前の職場の木場の14Fから見えていたこと、東西線の千葉よりからも眺めることが出来たあこがれの橋である。
午後から出かけたので、直通バスは東京ヘリポートまで。
後は歩いて若洲キャンプ場をめざす!
四月の冬型天気の晴れ日なので空気が澄んでいる


橋に上がるエレベータの下まできたところ、風が強いのに釣りに来てる人が結構いる。
まずは橋が遠くから見えそうな北側の岸壁の端っこをめざす。
釣れてますかと声をかけた、まぐれだと言いながら釣上げた50〜60cmのスズキを見せてくれた。
釣り針をつけたまま、岸壁につないだ細いロープでつないだ立派な獲物である。
駐車場、駐輪場も整備された釣り場でもある。
枝川から自転車で、奥様に言われてどこかに出かけたらと!?来ているとのことであった。


橋の上からはうっすらと富士山も見えるので、冬に来るとよりはっきりと見えるだろう。
千葉側には海ホタルの前をさえぎる大型コンタナ船も見える。
風が強い、対岸まで行くがオリンピックのボート競技場の整備中につき降りることが出来なかった。
一方、スカイツリーが思いのほかその雄姿を際だたせている。
オリンピックの時にこの橋の上からボート競技が見えたらとも思った!




いつもウォーキングで自宅から歩いてくる中川番所跡に水陸両用バスの入水上陸場所がある。
スカイツリーの乗降場所から中川まで陸路やって来て川に入り、20分ほど付近をクルーズする。
今回は上陸の場面を写真に収めることが出来た。


中川をしばらく遊覧した後に上陸する。
水上でスピードを上げ、勢いをつけてセメントの斜面から陸にあがる。
こちらにはおみやげ屋さんと休憩所がある。
そしてスカイツリーに戻って行く。




日比谷公園でパエリア・タパス・フェスティバルを開催され出かけた。
今年でまだ3回目のフェスティバルだ。
世界大会海外部門優勝のパエリアをビールとともに食べた。
濃厚でサフランの苦味もあり美味しい。


会場にはこの大きなパエリアのモニュメントが展示されている。
何年かすれば地中海料理の一大フェスティバルになることを予感させた。
来年に期待しよう。




東寺展を見に国立博物館に行った。
「空海と仏像曼荼羅」は一大ワンダーワールドだ。
以下曼荼羅への推察であるが、
インドでお釈迦様の教えが、多神教のヒンズー教に押され、 その影響を受け生き延びるために仏教でも多神教思想が生まれたようだ。
一方中国では易経、気功等(方技)を中心とする道教が民衆の支持を得ていた。
実際に唐の時代にはその王朝が仏教よりも不老不死の薬効等を唱えた道教を擁護した。
その結果中国でも仏教が衰退しかけた。
ここから中国でも道教に対抗するために仏僧がインドと同じように、
仏教に多神とも言うべき曼荼羅という形を生み出し進化した。


そんな仏教が多神教の思想を固めた曼荼羅の唐時代に、空海が唐に留学し最新の仏教知識を得て帰国した。
そして空海は何者にも負けない最新の仏教思想を広めようと決心し、日本で高野山に立体曼荼羅を創建したのである。
その後、高野山は権力、富裕階級から指示されて発展したが、
庶民からかけ離れているということで親鸞が念仏を唱えるだけで成仏できるという、
お釈迦様に原点回帰した浄土真宗を起こしたということである。
そんなこんなでこの唐の時代の仏教と道教の論争とせめぎあいを描いた映画を日中合作で製作し、
公開出来たら興味を持ってくれる人がいると思っている。
誰かこの時代に興味を持って脚本を書いてくれる人はいないかな!?




両国にぎわいまつり出かけ、ちゃんこ鍋を食べてその足で北斎美術館に向かった。
入口の北斎晩年の絵を描く姿を模した塑像には少し驚いた。
やはり生で見る赤富士と神奈川沖は素晴らしい。
明治期のフランスの画壇に影響を与えたことが良く判る。
北斎は真に自分自身の絵画を探求しており、その独特の表現力は人に驚嘆を与えずにはおかない。
百歳を過ぎて自身の絵が完成すると言ったそうだが、その絵はどんな絵だろう。
北斎研究家の話をじっくり聞きたいとも思った。




我が名字に関係のある台東区橋場町に出かけた。
こちらの橋場の名前の由来は、源平盛衰記によると義経が隅田川に浮き橋かけて渡ったとあり、これが橋場のルーツらしい。
東向島から白髭橋を渡って行くと、千年以上前に創建されたという関東三十六不動尊の一つである橋場不動尊がある。
正式名称は砂尾山不動院橋場寺である。
そして左隣には小さいが浅草七福神の布袋尊が祀られている。
帰りがてらに近くの有名なおだんご食べて向島百花園に足を運んだ。
江戸時代後期に庶民のために作られた山野草の庭園であり、芭蕉の句も何句かあった。




日本の神社のおみくじやお札の元となった中国神社に行った。
場所は埼玉県坂戸市にある。
隋、唐の時代にその王朝から、仙人をめざす長寿の秘薬製法の実践をし、庇護を受けた。
古代中国の易経の進化形態であり、 八卦や六十四卦の考え方を形作り日本にも影響与えた庶民宗教と言える。


2000年代に台湾の人によって建立された元祖中国神社である。
石彫刻の透かし彫りなど工芸の限りが尽くされている。
これら細工を見ると日光東照宮も中国神社の飾り立てを真似て創建されたのではないかと思う。
中国古来の屋根の上の昇竜が運気を高めている。
アジアの華僑には商売の神様として人気があり、横浜をはじめとして各国各地にこの道教神社がある。


内部も細かな木造彫刻で細密に描かれている。
道教の神様を盛り立てる桃源郷かもしれない。
当然元祖おみくじもある。
ヨーロッパの東洋に興味のある知識人女性には、神秘の”タオイズム”として近年人気があるようだ。
今後ますます絢爛豪華になっていくことだろう。




先日、豊洲市場に行ったので、比較のため今日はまず築地場外市場で海鮮丼を食べた。
午後からバラ・フェスティバル中の古河庭園に足を運んだ。
手入れされた綺麗なバラが沢山あり、園内はシニア女性で一杯だ。
洋館にはよく似合っており、ガーデナーの意気込みが随所に感じられ、 バラの花の乱舞だ!


庭園は坂になっているので残念ながら、足の悪い人や身障者には優しくない。
シニアが益々増えていく昨今にはかなり残念だ。
そして座って休めるベンチ類も見当たらない。
花をめでて慰められる人への思いやりがあれば、もっと素晴らしいと思う。
来年はパラリンピックもあり、都立公園でもあるからさらなる優しい対応を期待したい。




重要文化財である上野の寛永寺五重塔を見に出かけた。
創建1631年(寛永8年)、1639年(寛永16年)再建、塔の高さは約32メートルとある。
残暑厳しくとても暑かったので近くのお茶屋さんで一休みした。
お参りするには上野動物園から入るようだ。
この写真は上野東照宮の参道から撮ったものである。
写真のようにとても綺麗な立ち姿の美しい五重塔である。


浅草にも戦前国宝であった浅草寺五重塔がある。
こちらは戦災で焼失し、鉄筋コンクリートで再建されたもので大変残念だ。
すごい人出で日本人より外国人が多く、五重塔に興味を示す人は殆んどいないようだ。
近くに木造の942年創建の「旧五重塔の跡」の石碑がある。
これからは木造の五重塔を中心に探訪しようと思っている。




関東では現存最古となる重要文化財である池上本門寺五重塔を見に出かけた。
創建1607年(慶長12年)建立、塔の高さは31.8メートルとある。
西馬込から向かったので二丘陵ほど超えた墓地の入り口にあった。
真下まで車でも行くことが出来、四方から眺めることができる。
平成9年からの修理で、見えない構造材に炭素繊維が使用されているとのこと。


一層上部4面は彩色を施した彫刻で飾られている。
心柱は一層上面に配されている初重天井式、当時の宮大工の心意気が感じられる。
戦災により本門寺自体が消失したが、離れたところにあったこの塔は無事だったとのこと。
上層部への逓減率が少ない立ち姿が美しい塔である。
年代から見ると江戸の五重塔の先陣と言える。
近くには力道山のお墓があった。




法華経の大本山である千葉県市川市の法華経寺五重塔を見に出かけた。
創建1622年(元和8年)建立、塔の高さは30.8メートルとある。
江戸時代初期ということより宮大工の棟梁は池上本門寺と同一門かもしれない。 下総中山から北に向かい京成中山を越えてすぐ参道である。
加賀藩の菩提寺の一つであり、その肥後を受けて建立された。
本山の広い境内の中にあり、山門からも真ん中付近が見えてくる。
五重塔の周囲に寄進板や供養塔が設置されており周囲から立ち姿を眺めるには少し残念である。




加賀藩江戸時代前期の菩提寺である妙成寺五重塔を見に出かけた。
場所は石川県羽咋市である。
創建1618年(元和4年)建立、塔の高さは34メートルとある。
前述の法華経寺 五重塔と同じ宮大工の設計であり、法華経寺の方が後である。
能登半島の付け根の方を進んで行くと低い山並みの山麓にあった。
妙成寺は沢山の伽藍があり、その面積も広大である。
五重塔は小山の上にあり、周囲から眺める立ち姿はどこか凛々しく感じる。




富山県射水市にある日本海側最大のつり橋を見に出かけた。
全長600m、塔高127m、橋桁47m、最大支間長600mである。
21世紀に入ってから建設されたものである。
この橋越しに見る立山連峰は素晴らしい。
海浜公園には古い帆船も係留されており、富山の行楽地としては申し分ない。





戻る TOPページへ
inserted by FC2 system